史跡高松城跡 その2
ようやく天守台まで来た。
「その1」とは別の写真。まだそれほど陽が高くないので、思いっきり逆光になっている。
内堀。正面は瀬戸内海。ちょうど小豆島行きのフェリーが出向しているところ。左手松の木の間に見えるのが女木島、正面にうっすらと見えるのが男木島。好天続きで島が霞んで見える。
鞘橋と内堀と二ノ丸。その向こうに高松築港駅が見え、さらに向こうにはホテルクレメント高松とサンポートシンボルタワーが威容を誇っている。高松城に来て、西向きに撮影をすると間違いなく入る建造物である。
これは天守の地下1階部分にあった礎石。石は全部で52個もあり、東西六間、南北五間という寸法は古文書に記されていた通りだという。
その解説文。そういう古文書があるのになぜお城の図面がないのか。何とももどかしい。
天守を辞して、再び鞘橋、二ノ丸を通って三ノ丸方面へ向かう。
鉄門(くろがねもん)。名前の通り、鉄の門があった。三ノ丸から二ノ丸へ通じていた。
順光になるこちらからのほうがいいですね。
水門。右手は海に繋がっている。江戸時代は右手の石垣の向こうはすぐ海だったけど、今は埋め立てられて道路が走っている。でも、道路の下に水路を通していて、今も海と堀が繋がっているのだ。
水門の横には和船「玉藻丸」の船着場がある。ここから乗船して天守台の下まで往復する。この和船のサービスは栗林公園で10年ほど前から始められ、それではということで高松城も続いた。
たくさんのクロダイが泳いでいる。ここでエサを売っている。先日放送されたNHK「ブラタモリ」でもタモリがエサをやっていた。他にもフグやボラやいろいろな種類の魚がいる。
大願成就ならぬ鯛願城就で天守の復活を祈願。
内堀を右に見ながら歩いて行く。この道を鉤に折れながら進むと、
内堀と天守台と鞘橋。風がないのが嬉しい。本来ならこの道はあとで触れる披雲閣や桜御門へ通ずるのだが、今は桜御門の復元工事をしているため、臨時の道がしつらえてあり、そこを通っている。
天守復元イメージ。こうなるらしい。それにしても、私の手の影が邪魔ですね。逆から撮ればよかった。
一番奥の地久櫓から天守台に続く石垣が美しい。
桜ノ馬場。今でこそ、このくらいの広さだが、かつてはまだ西に広がっていた。小学生の頃、花見といえば、ここか栗林公園であった。当時は親によく連れて来られたものだ。今日は鉄砲隊が演武をするのでその準備に余念がない。
桜ノ馬場の北西角にある櫓の跡。
同じく西南角。どうもこの辺りに大手門があったようだ。勝手なイメージでは高松三越と高松中央郵便局の間の道の延長線上にあるものと思っていたから意外だ。ここだと、ちょっと西寄りだ。
そこを上ると中堀に出る。お堀端を行くことでん。
桜ノ馬場の一角に日時計がある。昭和49年の時の記念日、6月10日に寄贈とある。
復元工事中の桜御門。昭和20年7月の高松空襲の際に焼失してしまったのだが、この度、復元の運びとなり、7月に完成するという。もうほぼ完成しているように見えるが、まだらしい。
工事は6月8日までなんですがね。と、さも待ち遠しいようなことを書いていますが、多分ニュースで知るまでは忘れているような気がする。
まだ続きます。今回はこんなところで。
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