仏生山へ行ってきた その13
お成り通りを引き返す。
法然寺から榺神社へ下りる坂道を通る。そこにもまた案内板が見える。
大黒座跡。今は普通の民家だけど、1914年(大正3年)にここ上町に建てられた芝居小屋。こけら落としでは歌舞伎役者を招いて忠臣蔵を上演したという。しかし、1944年(昭和19年)に解体、旧高松市内に移転し、八雲座として再開したものの、翌年の空襲で焼失してしまった。「戦争がなければ」というのはいつもついて回るものですが、悲しいことです。
また、少し下りるとこの坂道の説明がある。法然寺のある前山へ通ずる坂道ということで前山坂道という。この街道を通れるのは藩主をはじめとする武士、町年寄といった身分の高い者だけだ。庶民は裏門から入ることとされた。裏門がどこにあったのか分からないけど、裏参道は「その5」で石碑を見た。
日曜日なので、開いている店は少ない。天満屋呉服店。やっぱり閉まっているより開いているほうが見栄えがする。黒塗りの渋い外観の仏生山フレンチも営業していた。
これはのみもの屋という酒屋カフェ。中国・四国地方の150種類以上のクラフトビールやクラフトジンの他、スペシャリティコーヒーや和紅茶もある。また、おつまみもあり、店内で飲食できる。ビールは瓶や缶はもちろん、量り売りもあるという。ビールに関する資格を持つ夫婦が店を切り盛りしていて、好みを味を伝えると、それに合ったビールを紹介してくれるそうだ。私も飲みたかったけど、家に帰ってからどこかへ出かけることになるいけないので、ここはグッと堪えた。
その向かいには朝も紹介したもんぜん町家。のれんが出ていたので入ってみる。中は10畳2間の広い座敷の部屋となっている。入り口には仏生山に関する様々なパンフレットが置いてある。いらっしゃいませ、と声のかかるほうに顔を向けると運営をしているらしい若い人が4、5人笑顔で迎えてくれる。中庭を見せてもらってもよかったのだけど、私は座敷には上がらず、パンフレットだけもらってお暇した。パンフレットをもらうには遅すぎるけど、せっかくなのでいただいた。
アオイ堂。仏生山では有名な和菓子店だけど、買ったことあったかな?記憶にない。
ここから駅とは反対の東へ向かう。その途中にこんな石碑があった。金毘羅奉燈移転跡地とある。金毘羅さんへの奉燈、つまり奉献された燈篭がここにあって別の場所へ移転したわけだけど、大きなミスがある。
よく見ると…。はじめ紀元と彫ってあったのを掘った個所を埋めて、改めて西暦に彫り直している。遠目には分からないけど、近づいてみるとよく分かる。1980年(昭和55年)で紀元はさすがにないですね。あらたに最初から作り直すのも大変なので、こういう修正で切り抜けたのかなと。
今回はこんなところで。
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