広島たび その12(可部線①)

日付変わって6月29日。この日は広島市内を電車でめぐる。朝5時過ぎに起きてスタートする。

往復乗車券

最初に乗るのは可部線。乗るのは3度目で、最初は学生時代の初乗りで1992(平成4)年夏、2回目が可部-三段峡間廃止前の2003(平成15)年夏だった。もうそれから20年以上経つけど、その間の2017(平成29)年にあき亀山まで再延伸されての今回の乗車だ。今や可部線も広島近郊区間しか残っていないけど、久しぶりの乗車なので楽しみだ。

ところで、広島市内の駅に属するあき亀山までは本当は昨日使った切符で乗ることは可能だったのだけど、広島で降りた時点で前途無効になり、可部線は別途購入が必要となる。でも、あき亀山で宿を探したけど、なかったので、結局広島で泊まるしかなかった。

発車案内

下りの始発、5時55分発に乗って終点のあき亀山を目指す。

岩国行きと並ぶ

岩国行きと並ぶ。このあき亀山行きの始発は広島ではなく、呉線の広である。わずか50キロちょっとの距離で呉線~山陽本線~可部線と3線区にまたがって運行される変化に富んだ列車で、227系の4両編成が使用されている。

行先標

行先標。

トップナンバー

嬉しいことにトップナンバーでした。

京橋川

定刻に発車してまず京橋川を渡る。

新白島駅

最初の停車駅、新白島。2015(平成27)年に開業した新しい駅で、アストラムラインとも接続している。

旧太田川

旧太田川。陽が差す前のやさしい空気が辺りを包んでいる。風がない。

横川駅

6時ちょうど、横川に着く。ここで山陽本線と分かれる。日曜朝の下りだというのに大勢の人が乗り込む。これはちょっと意外だった。

これから入る可部線は横川-あき亀山間の15.6キロの短い路線だ。1909(明治42)年に大日本軌道広島支社線として軌間762ミリの軽便鉄道規格で非電化で横川-祇園間に開業した。その後、1911(明治44)年に可部まで延伸。1919(大正8)年に可部軌道に譲渡、1926(大正15)年に広島電気と合併。1930(昭和5)年までに電化と1037ミリへの改軌が完了する。1931(昭和6)年に広浜鉄道に譲渡ののち、1936(昭和11)年に国有化されて国鉄可部線となり、安芸飯室(あきいむろ)まで延伸。戦後は1954(昭和29)年に加計(かけ)へ延伸、さらに1969(昭和44)年に三段峡まで延伸された。以降、観光シーズンには臨時快速「三段峡観光号」がたびたび運行されている。なお、電化は直流で行われ、当初は600V、1948(昭和23)に750V、1962(昭和37)に1500Vとだんだん昇圧されていったが、電化区間は可部から延びることはなかった。

可部線の国有化は国が定めた鉄道敷設法別表第94号にある「廣島縣廣島附近ヨリ加計ヲ経テ島根縣濱田附近ニ至ル鐡道」が根拠になっている。全通すれば今福線と呼ばれる路線になったのだが、上記のとおり、三段峡まで開業したものの、その先は1980(昭和55)年の国鉄再建法の成立で工事凍結、さらに2003(平成15)年に可部-三段峡が廃止されてしまった。ところが、沿線住民の要望に応える形で2017(平成29)年に可部-あき亀山間で復活の延伸が行われる。一度廃止された路線が復活したのは全国初のことで、大いに話題になった。

そんな可部線に乗る。

太田川

横川を出ると今度は太田川放水路…太田川の本流を渡る。陽はまだ低い。

三滝駅

ここで可部線はほぼ90度曲がって北へ上がり、可部線唯一のトンネルをくぐると三滝で上り列車と交換する。向こうには太田川が見える。三滝の前後約1キロで太田川に沿って走る。

太田川

三滝を出るとこんな感じでちょっとだけ太田川に沿う。

安芸長束駅
安芸長束駅

?…次の安芸長束は変な造りになっている。これは以前、島式ホーム1面2線だった構造を新たにホームを設けて相対ホーム2面2線に変えたためだ。なので、上りホームは島式時代の名残りで旧下り側にも点字ブロックが敷かれているのだが、フェンスがあって乗り降りできなくなっている。

アストラムライン

大町に着く。ここでアストラムラインと再び接続している。

安川

大町を出て安川を渡る。

山陽自動車道

山陽自動車道をくぐって、

緑井駅

区間列車の設定がある緑井に着く。ここで4分停車。何人か乗り降りがあった。少しすると広島行き普通列車が入ってきた。

梅林駅

梅林。ここでも数人降りていった。横川で乗客が増えたけど、他の各駅でも乗降があり、朝の下りでも使用客が多いことに驚く。ここにも区間列車が設定されている。

太田川

上八木を出ると久しぶりの太田川。穏やかな流れだ。この正面で他の2つの川と合流して、さらに太い流れとなる。

牛尾山

太田川を渡ると牛尾山(正面)と鬼ヶ城山(奥)に近づく。

可部駅

6時32分、かつての終着駅・可部に着く。ここで5分停車する。向こうのホームは旧1番線。手前のホーム奥側は旧2番線で現在はともに使っておらず、レールは外され、バラストが残るのみだった。手前のホームの手前側は三段峡まで延びていた時代の旧3番線で、今は上り用の1番線。我が列車が入っているのが下り用の2番線となっていて、昔とは構造がだいぶ異なっている。

可部駅

せっかくなのでホームに下りて撮影をする。屋根の向こうに少し駅舎が見える。実は昨夜は可部で泊まるつもりにしていた。駅の近くによさげな宿があったからなのだが、満室で取れなかった。廃線探訪に来る機会があれば泊まってみたい。

あき亀山方面

あき亀山方面。14年ぶりに復活したんだなと感慨に耽る。

あき亀山行き

何人か降りていった。ラストスパートに備える。

そこへ上り列車がやってきた。到着を待って6時32分発車。

可部駅の側線

ここからは再延伸区間に入る。

国道54号

広島と松江を結ぶ国道54号の高架をくぐって、

河戸帆待川駅

河戸帆待川(こうどほまちがわ)に着く。ここは廃止されたときにはなかった駅で、新たに設置された。1面1線の棒線駅…いわゆる停留所だ。駅名の由来となった帆待川は駅の下を流れている。

旧河戸駅跡?

古い地図を見るとこの辺りが旧河戸(こうど)駅があったところのようだ。と言われても、分かりませんよね。下の川を渡る直前になりますが、遺構は見当たらないので半信半疑。

大毛寺川

大毛寺川(おおもじがわ)を渡り、

あき亀山駅駅名標

6時41分、終点のあき亀山に着く。距離の割に時間が掛かったのは私鉄時代の名残りで駅数が多いからだ。

以前あった安芸亀山駅とはまったく別の駅で、新駅もまた可部市の亀山地区にあることからこの駅名が付けられた。旧安芸亀山駅はここから直線距離で3.4キロほど西にあった。

沿線のほとんどが住宅街の中ということもあり、川に沿ったり渡ったりしないと特に見るものはない。でも、時折り飛び込んでくる自然の景観がいいアクセントになっているし、次々と駅が現れ、列車交換が頻繁に行われるのでなかなか面白い線だなと思う。今回はこんなところで。