琴電屋島駅

8月30日の午後、ショッキングなニュースが入ってきた。

ことでん志度線の琴電屋島駅が本日9月1日から解体工事に入るというのだ。木造駅舎は小ぢんまりしていながら重厚感があり、あの塗装は別として佇まいが好きだった(以前は無塗装だった)。2009(平成21)年には経済産業省より近代化産業遺産に認定された。これは「金刀比羅宮参詣等関連遺産」の構成遺産という位置付けであった。そんな駅舎だっただけに解体は残念だし、もったいないことである。理由は老朽化。延命措置は採れなかったのだろうか。福岡町にある旧県立体育館と同じパターンか。まぁ、文化財と違って保護、保存する義務はないですからね。

解体2日前の報道になったのは、おそらく週末を間に挟むと名残を惜しんで撮影に来る人が殺到するからそれを避けるためかと思われる。電車で来ればいいが、車で来てその辺に停めて撮影をされてはたまらない。あと、直前発表にしたのは反対とか署名活動などを封じるためか?と穿った見方をしてすみません。

軽く歴史を。参考元はwikipedia。1911(明治44)年に東讃電気軌道の屋島駅として開業(今の位置より西、屋島の陸上競技場辺り?にあった)。5年後の1916(大正5)年に合併により四国水力電気の駅になる。1925(大正14)年に高徳線の屋島駅の開業に伴い、屋島登山口駅に改称する。鉄道省より14年も早く開業しているのだ。1929(昭和4)年に屋島登山鉄道(屋島ケーブル)が開業したことにより現在地に移転。1942(昭和17)年に事業譲渡で讃岐電鉄の駅となり、さらに1943(昭和18)年の国の交通統制により琴平線、長尾線とともに高松琴平電気鉄道(現・ことでん)となり、その志度線の駅になる。

当時は戦時下ということもあり、全国的に不要不急路線の休止や廃止が行われていた。香川県でも仏生山-塩江間の琴平電鉄(現・ことでん)の塩江線が1941(昭和16)年廃止、坂出-琴急琴平間の琴平急行電鉄が1944(昭和19)年に休止、戦後は復活することなく1954(昭和29)年に廃止という例がある。今回の屋島駅が属する志度線でも1945(昭和20)年に八栗-琴電志度間が休止の憂き目に遭っているが、1949(昭和24)年に営業を再開して現在に至っている。また、築港前(今の高松港付近)-公園前(栗林公園の北門近く)-瓦町を走っていた琴平電鉄の市内線(公園前-瓦町間は志度線の一部)は1945(昭和20)年の高松空襲で被災、休止ののち、1957(昭和32)年に廃止。この市内線に関しては業績が好調だったようだから、被災していなければ今も走っていたかもしれない。高松市が検討しているLRT構想はこの旧市内線が礎になっていると思われる。

話がそれた。戦後、特に1960~1970年あたりの志度線は屋島を中心とした観光地への誘致で活況を呈する。屋島行きの列車もあったほどだ。相対式1、島式1の2面3線の構造を持つのも頷ける。ちなみに塩屋駅近くにあった塩屋海水浴場は琴電直営だった。

そんな琴電屋島駅のショート動画を貼り付けます。雰囲気が伝われば幸いです。

もう一つ、ことでんと接続していた屋島ケーブルの屋島登山口駅(廃駅)のショート動画もご一緒に。ケーブル再開しませんかね?これらはともに去年の春に屋島を訪れて作成したものです。

廃止になるわけではないけど、解体されるとなるとやっぱり寂しい。どんな駅舎になるのか、見守ろうと思います。今回はこんなところで。