鉄道敷設法

今、鉄道をどうするかが議論されている。下手をすれば、ただでさえ穴だらけになってしまった鉄道網がさらに粗い網になって、もはや網の体を成さなくなるのではないかと思っている。

鉄道建設がもっとも盛んだったのは明治から戦前の間であった。それは地元住民から、もしくは軍部からの要請であり、移動手段として当時鉄道がもっとも速かったということもある。しかも、人もモノも大量に輸送できるという利点もある。時代が必要としていたということだろう。

だから、政府は鉄道敷設法という法律を1892年(明治25年)、北海道鉄道敷設法を1896年(明治29年)に制定した。また、これらの法律で規定された路線は幹線で、そのほとんどが建設されたこともあり、政府は1922年(大正11年)に地方路線を建設するための根拠法となる法律として鉄道敷設法を改正(改正鉄道敷設法)した。この法律は国鉄が民営化されるまで生き続けた。

この改正鉄道敷設法には別表があり、そこに建設すべき路線の一覧が記されている。下のリンクはwikipediaからの転載です。

鉄道敷設法別表一覧

鉄道ファンにとってはこんな路線があるのかとワクワクしそうな表なのだが、これではいま一つ分かりにくい方もおられるかもしれない。そんな人にも分かるものがある。私もこちらのほうが分かりやすい。それがこれ。「日々題」というブログから引用させていただいております。国鉄時代の時刻表片手に比較すると分かりやすいだろう。今の時刻表と比較すれば、愕然するかもしれない。そして、羨ましいと思うかもしれない。

北海道

東北

関東・甲信越

中部・近畿

中国・四国

九州

もし、これらがすべて完成していたら営業キロは3万キロを超えたのではないか。あれだけあった盲腸線はほとんどがどこかと繋がり、まさに網の目状になっている。惜しむらくは日本が戦争に走ってしまったことだ。戦争をせずに昭和10~15年頃の状況で国が歩んでいれば、鉄道建設はすべては無理でもかなり進んだのではないか。

とはいえ、息苦しい時代には違いないから鉄道欲しさにあの時代に戻りたくないというのはある。鉄道建設が完結した上で、日本が勝ち目のない戦争は無理と悟って、緩やかにでも民主化が進んでいればよかったなと都合のいいことを考えてしまう。

こういう地図を見せられると今度は最長片道切符、すなわち一筆書き切符はどういうことになるのだろうとワクワクする。そして、当然のことながら時刻表はどういう内容になるのだろうと思うと同時にその時刻表片手に全線完乗をしてみたくもなる。

世間に反して、流れに抗って私だけ「逆モータリゼーション」状態だが、今の鉄道に希望を見出せない以上、こんな妄想を抱くくらいはいいだろう。こんなことでしか慰めることができないくらい現下の鉄道を取り巻く状況は絶望的なのである。

ホント、ひどいことにならないうちに全線完乗ができたらいいなと思っています。

今回はこんなところで。