門司港駅

九州の話に戻ります。え?まだやってたのね。

小倉から12時41分発の門司港行きで次の目的地である門司港へ向かう。

もう午後なのに走行中の撮影はまだブレている。天候は朝から変わらず、今にも雨が降りそうなので仕方ないのかもしれない。

大勢の人

到着。こんなに大勢の人が乗っていた。

門司港駅駅名標

門司港の駅名標。駅名標というものはホームに対して平行に掲示されているのだけど、こうして垂直に掲出されることもある。でも、こういうのは最近では滅多に見られない。しかも、嬉しいことにこれは紛れもなく昭和から残る国鉄文字だ。

右が乗ってきた813系、左が821系。直方に電車が走り出して20年以上経つのに、学生時代を最後に行っていないものだから、そのイメージが沸かない。現地の方、ごめんなさい。

上屋の時計

こういう時計もずいぶん減ってきた。柱や梁は木、一部に古いレールも使われている。

0キロポスト

車止めの脇に0キロポスト。これは鹿児島本線の起点であり、九州の鉄道の起点でもある。

側線

側線には様々な車両が並ぶ。今やどれもステンレスだけど、表情がいろいろあって楽しい。手前から811系、817系、813系、415系。415系は国鉄最末期からJR初期にかけて製造されたステンレス車体のもので、今や貴重な存在だ。それ以前の鋼体の車両も残っているから、そちらはなくならないうちに早く乗っておきたい。

安全の鐘

花壇はちゃんと手入れされていて気持ちがいい。安全の鐘が見える。

旅立ちの鐘、幸福の泉、0マイルポスト、腕木式信号

旅立ちの鐘、幸福の泉、0マイルポスト、腕木式信号。

門司港駅改札口

門司港駅の改札。微妙にブレてます。すみません。

36ぷらす3

隣のホームにはD&S(デザイン&ストーリー)列車の特急「36ぷらす3」が停まっている。

動輪

レンガ積みのホームの上には蒸気機関車の動輪が保存されている。

関門連絡船通路跡

これはかつて運航されていた関門連絡船の乗り換え通路の跡。関門トンネルが開通したのが1942(昭和17)年なのに関門連絡船が廃止されたのは1964(昭和39)年のこと。本州と九州がトンネルで結ばれたといっても下関と門司港(当時は門司)ではなく、その少し西の門司(当時は大里)なので、門司港や下関に用事のある人にとっては不便になったことだろう。それで残されたのかもしれない。ただ、関門航路自体は国鉄は撤退したけど、民間では現在にいたるまで航行が続いている。

36ぷらす3専用改札口

これは36ぷらす3の専用改札口。この特別感がいい。

門司港駅改札口

改札からホームをのぞむ。

門司港駅洗面所

洗面所。昔はトイレとは別に洗面所があった。蒸気機関車の付け替えが行われる駅でもホームに洗面設備があった。たとえば、琴平駅のホームには今でも残っている。

門司港駅トイレ

こちらはトイレ。

幸福の手水鉢

その入り口に幸福の手水鉢がある。石造りの洗面台に銅製の鉢が乗っている。

出札口

この出札口、いいですね。

一・二等待合室改め観光案内所

その奥にあるのが今はみどりの窓口と観光案内所になっているけど、かつては一・二等待合室だったところだ。

三等待合室改めスターバックスコーヒー

コンコースを挟んで反対側には三等待合室がある。ここにスターバックスコーヒーが入っている。ここでコーヒーでも飲みながら列車を待つのもいいなぁ。ちなみに2階にはかつて列車食堂事業を展開していたみかど食堂を復活させた店舗が入っている。

かように戦前は一、二等客と三等客は厳列車内だけではなく駅でも厳然と分けられていた。扱いがまるで違うのである。三等制時代の運賃は単純に三等の倍が二等、3倍が一等ということを考えると扱いが違って当然といえるだろう。

門司港駅コンコース

石畳のコンコースはなかなかお目に掛かれない。意匠もシャンデリアも白熱灯も明治大正そのままの趣きがいいですね。

門司港駅駅舎

門司港駅舎。九州の玄関にふさわしい堂々とした駅舎だ。現役の駅舎で国の重要文化財に指定されているのは東京駅の丸の内駅舎とここ門司港駅だけだ。これを見ると納得。

駅舎の撮影は着いてから15分、戻ってからも10分ほどかけてやったので、それだけで30分近く駅にいたことになる。それだけ魅力的な駅だということだ。

では、これから門司港レトロをめぐりましょう。今回はこんなところで。