山口線に乗ってきた その14(医光寺①)

豊味軒を出たのが14時半頃。待ち時間はまだ2時間ある。楠君と「さぁ、どうする?」「近場でどこかええとこないかな?」と相談する。で、楠君から「医光寺へ行ってみる?」と提案される。私は駅周辺の散策でいいかなと思っていたけど、他になさそうだし、行ってみることにする。

石見交通バス

14時53分発の蟠竜湖線の医光寺行きに乗る。旅先で地元のバスに乗るのは楽しい。

医光寺前バス停

途中から昔の街道のような道を通りながら医光寺には10分で着く。

看板

医光寺の看板。

総門

医光寺総門。ちょっと変わった形の門だが、元は益田氏の居城であった七尾城にあった大手門で、同氏の須佐移住によって廃城になったものを移築したのだ。七尾城があったのは私たちが立っている反対側、真後ろにそびえる七尾城山にあった。太い柱は当時のままだという。

中世城下エリア
日本遺産のまち益田市

鎌倉時代から戦国時代にかけての中世において大陸との交易などで大いに栄えた益田に関する解説板。こういうことは現地に行かないと知り得ないことが多い。

医光寺全景

総門から医光寺全景。なので、お寺自体はそれほど大きくはない。医光寺の前身は崇観寺で臨済宗東福寺派のお寺で、1363(貞治2)年の創建。益田氏の菩提寺となり、当時西国一の伽藍といわれた。一方の医光寺は崇観寺の塔頭(たっちゅう)として同じ1363年に創建されている。のちに両者の地位は逆転し、さらに崇観寺の寺堂を火災で焼失したことで、統合して崇観医光寺となり、のちに医光禅寺となる。雪舟は文明年間(1469~1487)に第5世住職となっている。

きれいに整えられている

中門に向かって左に並ぶ貝塚の木。きれいに整えられている。私は年に一回実家の庭木の剪定をしているけど、形は二の次、三の次、短くなっていればいい程度の意識なので、さっぱりはしていても見た目はいただけない。

中門

石段を登ると中門がある。

史蹟及名勝 医光寺庭園

左は「史蹟及名勝 醫王寺庭園」昭和6(1931)年建設とあり、右は仮名が並んでいる。どうやら真言のようだが、何の意味か分からない。

医光寺境内案内図

境内はこんな配置になっている。

鐘楼

鐘楼。石垣の上に立ち、屋根も大きく堂々としている。

桜

桜が満開。手前はツツジなので、桜が終わると咲き始める。春は様々な花が咲くので楽しい時季だ。

雪舟灰塚

雪舟灰塚。雪舟は87で亡くなったとされるが、それがこの益田で、このお寺で火葬されたことからこの名がある。

お地蔵様

お地蔵さまがずらりと並ぶ。

雪舟灰塚から全景

本堂は木に隠れてしまったけど、雪舟灰塚から医光寺全景。

モクレン

中門前のモクレンは終わりかけ。根元に花びらがたくさん落ちている。

大谷嘉助の歌碑

「岩肌の石見の土に生き立ちて凛凛と張れるつはぶき(つわぶき)の花 嘉助」こういう歌碑は読めないことがほとんどだけど、これは幸い全部読めた。嘉助とは大谷嘉助のことで、医光寺門前の造り酒屋岡田屋本店を営みながら歌人としても活躍した。「夜明け前」などで有名な作家の島崎藤村の親交があった。

市兵衛地蔵

中門に向かって右側にある市兵衛地蔵(上の境内案内図では一兵衛地蔵)。江戸時代中期、中門の再建に尽力した人だそうだ。

お地蔵様

左側にはお地蔵さまが並ぶ。

弁天堂と赤い鳥居

奥の祠は弁天堂。手前の赤い鳥居はお稲荷さん?

あれこれ見ていくと中門にもなかなか入れない。キリがいいので、今回はこんなところで。