こんぴらさんへ行ってきた その1
お酒やらうどんやらが先んじてしまったけど11月26日の日曜日、金刀比羅宮へお参りに行ってきた。もっとも、琴平へ行こうと思った動機は金陵初しぼりのイベントとちょっと不純であった。それだけのために琴平へ行くのはさすがに気が引けたし、振り返ってみれば前回行ったのは5年も前のことだ。せっかく参道の入り口まで行くのにお参りしないのは申し訳ない。そういうわけで金刀比羅さんを参拝することにしたのだった。
この日は大相撲九州場所の千秋楽(3回目!)なので、15時には帰宅したい。金陵のイベントは9時から始まるからそれまでにはお参りして下りていたい。それならお昼のうどんを含めても昼前には帰宅の途に就けるだろう。そこで逆算して割り出したのが始発で出発することだった。いつものことながら酔狂なことだと思う。
5時に起きる。当たり前だけど、辺りはまだ真っ暗だ。11月も末、日の入りは今が最も遅い時期だけど、日の出は1月の初旬までまだまだ遅くなる。
5時半頃に家を出て5時50分頃に高松築港駅に着いた。家を出るまでJRで行くか、ことでんにするか、はたまた両方か迷ったけど、調べてみるとことでんの1日フリーきっぷが一番安かった。高松築港から琴平の往復で元が取れるのは大きい。ちなみに築港-琴平間の片道は730円。いつ調べておるのかと思うけど、ともあれ、ことでんで行くことにした。以前は1,200円だったけど、5月の値上げに伴ってこちらも値上がりしている。
裏面にはきっぷと沿線の案内が書かれている。
ことでんの一番列車。左がこれから乗る6時発の琴平行きで、仏生山から来た上り始発の折り返しだ。右が6時11分発の長尾行き。まるで夜行列車に乗るかのような雰囲気だ。
ホームにはこんな幟が並んでいる。小さい頃に見ていたアニメ「勇者ライディーン」のオマージュか?でも、ライディーンには似ていない。
あらためて琴平行き。私の好きな1080形だ。元京急の初代1000系を1988(昭和63)年から1991(平成3)年にかけて導入した。それから数えるとことでんに来てからでもかれこれ30年以上になるけど、車歴は60年くらいになるのではないか。車内は意外にも10人を超える乗客がいた。定刻に発車。
この日は6時45分の日の出で、滝宮を過ぎたあたりで日が昇る。そのずっと手前の岡本は駅の背後に奈良須池(ならずのいけ)があり、降りて池と日の出を合わせた撮影しようと考えた。それから次の琴平行きに乗ってお参りと思ったけど、結果的に降りなくて正解だった。
乗車時間の半分近くが暗い中の走行だったこともあり、乗車中は1枚も撮影をしないまま7時02分に琴電琴平駅に着いた。方向幕が早くも高松築港になっている。駅の向こうはようやく朝の陽ざしが輝きを放ちだし、明るくなっている。
この金陵の広告付きの駅名標は味があって、いつ見てもいいなと思う。
駅舎内にある琴平町観光案内板。
駅前に立つことでんの看板。
琴電琴平駅の駅舎。これも悪くはないけど、建て替えられる前の戦前からの駅舎のほうが趣きがあってよかった。
駅前には琴参バスと三豊市コミュニティバスの停留所があって便利だ。この三豊市のコミュニティバス、もともと7町が寄ってできた市という経緯があるのかもしれないけど、なかなか充実していて、かなり広い範囲をカバーしている。市内はもちろん隣接する市町にもこうやって足を延ばす。行っていないのは多度津町だけだ。本数は多くないし、毎日運行でもないけど、あるとないとでは大違いで交通弱者にはありがたい存在だ。
駅前から東に見えるのはJR琴平駅だ。ことでんとは200メートルほど離れている。
かつて、琴平をめざす鉄道はJR(旧国鉄)とことでんの他に2つの鉄道会社が有する3路線があった。丸亀と多度津を出て、善通寺で合流して琴平へ向かう琴平参宮電鉄(琴参)と坂出から直接琴平へ向かった琴平急行電鉄(琴急)だ。前者は昭和38年に、後者は戦中の不要不急路線ということで昭和19年にそれぞれ廃止されている。つまり、戦中は5つの路線が金刀比羅参拝の足として活躍していたわけで、いかに信仰が篤かったかが分かる。
それでは金刀比羅さんをめざして歩を進めることにしよう。今回はこんなところで。
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