史跡高松城跡 その4
旭門と艮櫓を後にして元来た道を戻る。
桜ノ馬場から臨時の通路に戻って桜御門を撮る。堀は中堀だ。
披雲閣のエリアに入って、桜御門を内側から見る。花がきれいだ。
表からは分かりにくかったけど、内側からだと木の門扉があるのが分かる。梁に使われている木は樹齢何年くらいのものなのだろう。
松の木があって見えづらいけど、ブルーシートが被せられている。木の階段のようなものがチラッと見えるからこれができれば完成ということなのだろう。門の上に入れるようなら嬉しい。
披雲閣。藩の政庁と藩主の住居として使われていた。江戸時代には今の2倍の広さがあったものの、明治になって老朽化により、取り壊された。しかし、大正6年に建て直された。昭和天皇・皇后両陛下がお泊りになられたこともあるという由緒ある建造物だ。今は茶会、生花展などが催されている。
披雲閣の前に咲くツツジ。
桜御門とツツジ。もう一息といった感じだが、中にはまったく咲いていないのもあって、少々物足りない。
きれいに手入れされた松。私は年に1回、実家の庭木の剪定をしている。もう10年以上はやっているだろうか。庭に松の木はないけど、こんなにきれいに整えることなどできない。それはそうだろう。こういう庭の手入れをしているのはプロ中のプロだろうから、比較すること自体失礼だ。
ここから庭へ向かう。
披雲閣。
整然と石が並ぶ。
おびただしい数の蘇鉄。
昭和天皇・皇后御手植松。
御手植松の解説文。この横に漢文で書かれた石碑があるのだが、分かりやすく解説文がある。これによると昭和天皇とあるが、松を植えた当時はまだ大正天皇の摂政であった。香淳皇后もこれまた昭和天皇と結婚される前のことである。面白いのは陸軍の演習が行われるのにここ披雲閣が大本営になっていたということだ。
銀閣寺型手水鉢。京都の銀閣寺の手水鉢を模して造られたものだ。
水は流さず、枯川で表現している。そこに橋を架けたり、築山を配したりして落ち着いた庭になっている。これも大正時代に披雲閣を再建した際に造られたものである。
これが一番きれいに咲いていたツツジかな。
披雲閣を裏側から。桜御門が焼けたのにすぐそばの披雲閣が被災しなかったのは奇跡だろう。焼失しなくて本当によかった。
東屋もある。庭自体はそう広くないけど、ちょっと休める場所があるのは何だかホッとする。
井戸がある。使っているのか?枯れているのか?
石燈籠。燈籠は庭の中にいくつか置かれてある。
庭園への出入口。ここから東へ行くと北の丸跡があるのだが、途中に柵があってその先にある鹿櫓跡へは行けなくなっている。
あと1回かな。今回はこんなところで。
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