キハ40系の追っかけ その27(徳島中央公園⑦ 徳島城2)

本丸跡

本丸跡に着いた。本丸らしく広々としている。

木で見えにくい

本丸は城山のてっぺんの平たい場所なのだが、外周が木々に覆われているので、城下の様子が案外見えない。これは北側の様子。

吉野川と阿讃山脈

同じ場所でズームしてみると何となく分かる。向こうに吉野川、さらに奥に見えるのは阿讃山脈だろうか。

搦手門

搦手門。とこどっこい坂や桜並木のそばにあるテニスコート付近から登ると途中で合流してここに出る。が、この門は普段使われているそれではなく、本丸にあった御座敷の地下にあり、それが助任川に繋がっていたという埋門であった。

沼島と淡路島

北東方面。正面に見える吊り橋は阿波しらさぎ大橋で、その向こうに見える小さな島は国産み神話の伝わるオノゴロ島と言われる沼島(ぬしま)、左の大きな島が淡路島。

清玄坊神社

清玄坊神社。戦国時代の人で、祖は清和天皇。その皇子の臣籍降下の際に天皇から源氏の姓を賜り、のちに三好氏とともに阿波國へ移ってこの山に祈祷所を作った。時代は下って蜂須賀氏が阿波に入り、この地に城を築くにあたって周辺の寺社に移転を命じたところ、清玄坊が応じず、氏によって謀殺される。それ以降、蜂須賀家には不吉なことが続いた。そこで非を悔いた蜂須賀公は石碑を建て、末代まで供養することを誓うと変事は起こらなくなったという。これを機に清玄坊の長男の範月と家政公は和睦し、その謀殺の現場となった紙屋町では毎年お祭りが行われている。

手水鉢

手水鉢。

清玄坊神社

反対側。

眉山

本丸の東端あたりは木があまりなく、眉山がよく見えた。どの方角でもせめてこれくらい見えるように視界を遮るような木々は切ってもいいのではないか。

紀伊半島と和歌山県

本丸の東側。正面に「四国放送」と書かれた白い塔が見えるのは徳島新聞社の社屋。その向こうには紀伊水道が、さらに向こうにはうっすらと和歌山県が見えている。

本丸跡

振り返って先ほどとは逆サイドから本丸跡を見る。ホント、広い。

ここまで2時間かかっている…やっぱり。これから麓へ下りていきますが、今回はこんなところで。