山口線に乗ってきた その11(益田駅)

帰りの列車まで3時間あるので、まず益田駅を見ていこうと思う。

1番線から下関方面をのぞむ。

1番線から2、3番線のホームを見る。

ホント、隙間と段差には気を付けましょう。特急「スーパーおき」と「スーパーまつかぜ」の乗車口はこちら。益田-小倉間の特急「いそかぜ」が廃止されたのが2005(平成17)年。以来、益田から下関方面へ特急が行かなくなってもう20年以上になる。時が流れるのは早いですね(遠い目)。

1番線には益田伝統文化である「べんがら染め」で染められた生地が風に揺れている。

しまねっこ。頭が大社造り。

改札横のホワイトボードには鳥居をくぐるSLが描かれている。卒業おめでとうとあり、この時期には駅でよく見られる。

山口線の見どころを紹介した「山口線の旅」が掲出されている。こういうのがあると大いに参考になる。

私が映ってしますが、出雲周辺の観光列車・天地(あめつち)のポスター。もともとは木次線を走っていたトロッコ列車「奥出雲おろち号」の後継列車だが、3年前に「おろち号」が引退した後に登場した「天地」は木次線のみならず山陰本線にもあちこち足を延ばしている。どのコースでもいいから乗ってみたい。

クルージングトレイン「瑞風」の画像の隣に「ようそこ人麿、雪舟のまち益田へ」の看板がある。そういえば、益田に着く前にひとまろ大橋をくぐったが、何の所縁があるのだろう?雪舟は?

柿本人麿像。左下には歌集がある。人麿は飛鳥時代の歌人で歌集・万葉集の編纂にあたっている。もともと大和の出身だが、最期はここ益田で過ごしたという。

歌を詠む人麿の油絵。

到着するなり引き上げていた、私たちが乗ってきた山口線のキハ40が3番線に入っている。長門市行きになるのはどうやら側線にいた車両ではなく、こちらのようである。ちなみにこの列車に乗って長門市まで行って、下関に乗り換えて幡生で山陽本線に乗り換えると山口線で帰るより早く下松に着く。まぁこれはスタート時間が早いからであって、遠回りの幡生回りが早いわけではない。

両隣の駅が書かれた駅名標を探したのだが、どこにも見当たらなかったので柱のものでご容赦ください。どこかにあるのだろうか?

跨線橋で2、3番線ホームへ移動する。これは長門を走る観光列車「○○のはなし」のポスター。これにも乗りたい。

ここにもべんがら染めの布が並ぶ。

長門市行き(右)と浜田行きが並ぶ。ともに1両というのが寂しい。

益田駅時刻表。ここから東の浜田、出雲市方面はまだましだが、長門市方面と山口線は本数がかなり少ない。

下関方面。

浜田方面。

3番線。右のキハ40の次の出番はいつなのだろう。

側線が何本かあるのはかつての全盛期を彷彿とさせる。

そこへ新山口行きの特急「スーパーおき3号」がやって来た。ここで乗務員が交代している。山口線は新山口からの列車が下りになるが、特急は鳥取や米子を発着することもあり、山陰本線基準で号数が振られている。
で、「スーパーおき」と長門市行きは同時に発車する。

こうして見ると広大だ。気動車、客車、貨車がたくさん停まっていたんだろうな。

到着して20分、ようやく改札を出る。あらためて見るまでもなく本数が少ない。

生け花が飾られている。

キヨスクや観光案内所が入ってんだろうな。こんな駅が増えてホント寂しくなった。

みどりの窓口もなくなったものの、駅員の配置は続けられているので、ありがたいです。

改札口。

益田駅入り口。

屋上にも益田駅。「南北連絡協を早期実現」の横断幕が掲げられている。先ほども書いた通り、益田は何本も側線を持つ広大な駅だ。が、これが街を南北に分断している。駅の北側に住む人は東か西へ迂回して南側に出なければならない。その不便を解消するための連絡橋建設は地元の人にとって悲願だろう。でも、もうみんな鉄道を必要としなくなってきているので今さら感がないでもない。

益田駅全景。益田は1923(大正12)年の開業時は山口線の駅としてであった。それが4月で、山陰本線が三保三隅から延伸開業したのはこの年の12月と8か月遅れ。翌年には戸田小浜まで延伸している。今の駅舎は1961(昭和36)年に建てられたもので、国鉄が一番輝いていた時代だ。
列車から降りると、その駅での撮影がけっこう長いので、時間がたっぷりあってもたちまち足りなくなるのは私あるある?だ。結局、ここまで30分ほど費やしている。今回はこんなところで。





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