久留里線の旅 その2(木更津~横田)

6時25分、木更津を出る。

3番線に停車する君津行き。

内房線の複線と分かれる。
久留里線は内房線の木更津から房総半島内陸部の上総亀山とを結ぶ32.2キロの非電化単線の路線だ。昔の房総半島といえば、四国とともに気動車天国であったが、1960年代から各線の電化が始まり、気が付けば久留里線だけが非電化で残った。
その歴史は起点の木更津駅が1912(大正元)年8月に開業しているが、久留里線は軌間762ミリの軽便鉄道の千葉県営鉄道として同じ年の12月に木更津-久留里間が開業したのが始まりだ。千葉県営鉄道は道路事情がよくなかった当時の千葉県下のあちこちで敷設された。その一つだったのだが、1922(大正11)年制定の改正鉄道敷設法別表第48号の予定線に「千葉縣木更津ヨリ久留里、大喜多を経テ大原ニ至ル鉄道」として入ったことで、1923(大正12)年に国に無償譲渡され、鉄道院久留里線となった。1930(昭和5)年に1,067ミリへの改軌が行われ、1936(昭和11)年には上総亀山まで延伸されたが、それ以上延びることはなかった。が、上総中野-大多喜-大原間はいすみ鉄道、旧国鉄木原線として開通させている。この路線の中で一番建設が難しそうな峠越えの区間は久留里から上総亀山までしか敷設することができなかった。その延伸区間は1944(昭和19)年に不要不急路線として休止に追い込まれ、戦後は1947(昭和22)年に復活して現在に至っている。今回、廃止、バス転換となるのはその延伸区間である。今年90周年なのにね。

内房線と離れるやもう夏草の生い茂るローカルな風景になる。

国道16号と交わる。

祇園に着く。左に少し見えているのが待合室。ここでなぜ祇園?と思ったら、平安時代前期に近くにある須賀神社は京都祇園にある八坂神社を勧請したとのことで、駅周辺の地名もこれに由来しているという。歴史ある地名だけど、駅は戦後の1961(昭和36)年に住民の請願によって設けられている比較的新しい駅だ。

祇園はホーム1つの棒線駅ながらホームにはツツジがホームの背後には桜が植えられている。春は楽しそう。

祇園を出ると右に国道410号が並走する。

間もなく次の上総清川に着く。元は清川駅で1923(大正11)年に国有化される際に今の駅名に変更されている。それは山形県を走る国鉄・陸羽西線に清川駅があったためだ。同じ国鉄になるからには同一駅名は避けなければならない。そこで当駅は旧国名を冠したというわけだ。

ピンクの花はセンニチコウ?黄色い花はカンナと思われる。夏らしい花が咲いていて、駅に彩りを添えている。棒線駅だけど、開業当初は駅舎があり、荷物も貨物も取り扱いがあった。

田んぼがちらほら見られるようになる。

東京アクアラインをくぐる。

東清川に着く。奥の房総横断道路から細い路地の先にあるのだが、路地裏の駅といった感じでひっそりとしている。東清川もまた棒線駅で、これで木更津から3駅連続だ。こちらは祇園よりもさらに新しく1978(昭和53)年に臨時乗降場として開業している。

待合室はしっかりしたコンクリート製だ。

今度は東関東自動車道をくぐる。

小櫃川を渡る。

木更津や袖ヶ浦にまたがるこのあたりは平野が広がり、稲作がさかんだ。

木更津を出て初めてレールが分岐した。しかも、貨物用の側線まである。

横田に到着する。開業当初は中川といい、3年後に今の駅名になった。相対式ホーム2面2線の駅で、ホームとホームは構内踏切で結ばれている。いかにもローカル駅の雰囲気といった感じの駅舎とホームだ。駅員が出て列車の到着を出迎えてくれる。こんな小さな駅にも駅員がいるとは今や貴重なことで、四国だと絶対無人駅だ。

駅舎に何人かいると思ったら、ここで上り列車と交換する。

ホームの北側には田んぼ広がる。

上下列車の交換。列車乗車中でもたまにデジカメで撮っているので、こんな感じで混じります。上りは6時45分に木更津へ向けて発車していった。横田では4、5人降りていく。

停車時間が分からなかったので、駅舎へは出ず、構内踏切で駅舎側に渡るにとどまる。停車時間はどうやら3分だったようで、駅舎の撮影くらいなら可能だっただけにちょっともったいなかった。6時48分発。
まだ半分も行っていないのになかなか面白い久留里線。今回はこんなところで。







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